top of page

胤康和尚資料館

【胤康和尚略歴文政4年(1821)武蔵国(現在の東京都板橋区下赤塚)に生れる。8歳の時、同地の名刹松月院の大隣和尚の弟子となり、その後師大隣に従って、肥後大慈寺、北方善財院に移り、天保6年(1835)15歳の時に慈眼禅寺に入寺する。
胤康は仏道の深奥を極めると共に、諸国行脚を通じて最新の思想・学問に触れ、また当時の日本を取り巻く状況に危機感を覚え、勤皇倒幕の思想を抱くようになった。しかし、当時の延岡藩内藤氏は徳川譜代の大名であり勤皇を説くは不利と考え、嘉永元年(1848)豊後竹田の岡藩に近づき勤皇思想を鼓舞した。胤康は以後10年にわたり岡藩藩士らに勤皇思想を説き、家老中川式部中川土佐をはじめ、小河一敏(後の堺知事)ら多くの藩士が和尚を師と仰ぎ深く帰依した。
しかし、まさに機が熟して兵を挙げんとするとき延岡藩の知るところとなり、文久2年3月11日(1862)暁、胤康は捕らえられた。延岡藩の牢にあること3年、幕府より京都奉行へ胤康の身柄引き渡しを命ぜられ、京都に送致され所司代の取り調べを受ける内、慶応2年4月17日(1866)獄中で遷化した。世寿46歳であった。
明治35年(1902)、時代にさきがけ身命をかけて勤皇思想を伝えた功績により、明治天皇より従四位が贈られた。平成16年県指定有形文化財に指定。

 

辞世の句
さとらばや わしの山寺 今ここに
空にひとしき 道としらずや

bottom of page